巨星墜つ!!

漢方医学会の重鎮がまた一人お亡くなりになられました。

小寺敏子先生が4月5日午後二時過ぎに94歳の幕を閉じられ、かむ去りましぬ。
3年前は、末期癌も消滅させえるほどの生命力をお持ちでしたが、
今年2月はじめ、インフルエンザを罹患され、肺炎を併発され、
経口摂取不能となり、自然に老衰、昇天されました。

先生のことを綴ろうとすると、多くの紙面を割かねばなりませぬので、
端折り、その一端だけをご紹介いたしますと、
若き頃に紀州の御殿医の伝える経絡按摩術、剽悍術を習い、
古方派漢方の朴庵塾(荒木性次)で皇漢医学に出会われました。
そして御年40を過ぎて、はりきゅうマッサージの免許を取られると同時に、
学校で教えられたり、学外でも、医経などの講義活動を開始されました。

平成14年年末に体調を大きく崩されるまで、神戸で、治療院をされる傍ら、
漢方医学の医学講説人としての道を歩まれ、多くの医師、薬剤師、鍼灸師などに
漢方医学、ことに我邦の医学、皇漢医学を説かれ続けました。
80歳近くまで、請われれば、
南は、沖縄、北は東北、北海道まで、毎月赴かれる精力的なご活動でした。

経絡治療学会では、夏期大学の講師の一人として、40周年大会まで参加されました。

先生の御教えは、単なる情報知識を伝えるのではなく、
漢方医学の蘊奥知恵を伝えられるので、必ず、そこには、感動がありました。
ことに治療においては、経絡の重要性を、
そして衣食住すべてにおいて広範なの卓見をお持ちでおられました。

わたしは、先生のご講義を倒れられる前の晩年のわずか2年ぐらいしか
教えを受けられんでした。なので、膨大な知恵を授けていただくまでには至りませんでしたので、
だから、小寺先生の学統を継げるような弟子とはとても言えません。
(写真は、京都の仁和寺に黄帝内経太素の国宝を、先生と一緒に見に行った時の写真。
中央の小寺先生の右が兄弟子の宇正先生で、先生の左がわたしです。)

ただ様々な思い出を振り返ると、独居老人の先生のために神戸市市長申し立てという制度、手続きを利用して、
とてもよい弁護士先生の後見人をつけて頂くことが事ができましたこと(ちょっと奔走しました)。
とても気難しい小寺先生は、とくに弁護士を敬遠されておられ、過去に、弁護士の後見人を立てようとして、
高弟のお一人が破門扱いを受けたほどです。

この時は、わたしの父親が長患いから解放、他界致しまして、
一週間ぐらいで、小寺先生の毛嫌いの、のらりくらりのはぐらかしで頓挫していたこの懸案を
再開致しましたが、御高弟の先生方のご説得が功を奏し、

市長申立て制度の手続きへと何とかうまく事が運びました。

ところがそれが、ちょうど後述するとおり、先生が癌に罹患され、入院される時の費用の捻出や、
そのあとの老健施設への入居のタイミングにぴったりと間に合うことがで出来たので、
天の計らいのなんと不可思議さよ!と感動したことも覚えております。

もうひとつの思い出は、
3年前に末期癌を患われたとき、わたくしも鍼治療をさせていただいたのですが、

腹直筋肉腫の痛みを、刺さない鍼で痛みを取り除いたとき、
小寺先生より、「名人のはりです。わたしが言うのだから間違いない!」と、
過分なほどのお褒めの言葉をいただいたことが先生との嬉しい思い出としてあります。
(死ぬまでに、そのお褒めの言葉に少しでも追いつけるよう精進いたします)

老いられても尚、眼光鋭く、しかし時には少女のようにハニカマレたりと、
とても強いオーラを感じられる先生でした。

そうそう、勉強会の帰り、当時、夙川のお家へお送りする際、
うどん屋でご飯をご馳走になりましたが、うどんと同量の丼付きの定食を
ぺろりと平らげられました。

小寺先生、安らかにおやすみください・・

不肖の門前の小僧より・・

ブログ初出:2015年4月5日(2017年10月12日再掲載に当たり、一部加筆訂正あり)

  • 左が御高弟の一人の、椿野先生、小寺先生は茶目っ気たっぷりの方でもありました。
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